今度は私の排尿障害のことです。

膀胱の収縮を助けるために私が飲んでるウブレチドは、排尿障害の他に
重症筋無力症の治療に使われたりする薬で、毒薬に区分されています。
きちんと用法・用量が守られていれば問題はないのでしょうが、できれば
服用を止めたいところです。
でも飲まないと、てきめんに尿意がなくなり、残尿量も増えてしまうので
私の場合はまだまだ(一生?)飲み続けるようです。

初めてこの薬が処方されたのは手術から2か月後。 
1回目の抗がん剤が終わった後でした。
全く自尿が出る気配がなかった私に 「これで出るようになる人もいるから
と、主治医から出されました。
排尿障害には適応されているようですが、腹痛 ・下痢 ・ 嘔吐 ・ 呼吸困難
最悪の場合はショック状態から死に至るほどの重篤な副作用もあるので、
最初は必ずご家族の監視の下で みたいな注意書きがありました。


じゃっ飲むよ! 見てて! 見てて!   緊張しながらゴックン


10分・・・   20分・・・   何も起こらず、安心しきっていた30分後
突然、体の中がつったように苦しくなりました。


どこよ! どこがつってんのよ!

胃の裏と背骨の間! 

お前すげぇなー!  そんなとこがつっちゃうの?  それがわかんのけ!

いいからもっと強く擦って!  なんか息もできない!

大丈夫! ちゃんとしてんよ!


あの苦しさは今までに感じたことがなく、パニックになりました。
つったというか、痙攣したというか、喉の奥まで痛くなり、本当に息が苦し
かったんです。
緊迫感のない夫にイラっとしましたが、あれわざとかも・・・


この症状はあと2回ほどあり、ウブレチドの怖さは、よーくわかっています。
前置きが長くなりましたが、昨日のことを・・・

この薬、1日1錠(5mg/日)が原則で、私は朝食後に服用しています。
ところが昨日、ビタミン剤と間違えて昼食後にも飲んでしまったのです
飲んで10分くらいで気づき、すぐに病院に電話しました。
早口で、自分でも何言ってるんだろうと思いつつ・・・

まだ10分くらいなので、吐いた方がいいのなら指突っ込んで吐きます!
薬、溶けてたら無駄ですか?  胃洗浄とかやるようですか?
何だか動悸もしてるんですけど 
 → これ精神的なものだった
1日1錠なのに2錠も。 しかも4時間も空いてないんですぅ


看護師さんが医師に確認した結果、1日だけなら問題ないとのこと。

よかったーーー!  ほんとうによかった!
そして冷静になったら恥かしいーーー
昨日はこの後、午後から仕事に出ましたが何事もなかったです。

なんだかこのままだとタイトルを 「ウブレチドの怖さ」
いや、「冷静さに欠ける私の怖さ」 になりそうなので、軌道修正します


私は現在、朝と就寝前の2回だけ導尿をしています。
朝の残尿は150~200。  就寝前は30~60くらいです。
これは8月に入ってからの量で、それ以前はもう少し多かったです。
主治医M先生が前からおっしゃっていたように、朝だけの導尿でいいのかも
しれません。
朝だけだったら、使い捨てのカテーテルを通販で買ったほうが安上がりかな?
とか考え始めてます。
病院だと、前にも書いたように 「自己導尿指導管理料」 を取られるから


排尿障害は1年経ったら回復は厳しい」 というような情報もあり、落ち込ん
だりもしましたが、私のように少しずつ少しずつ回復するケースもあります。
排尿障害の経過のカテゴリを作った去年の11月10日。
ほんとうにもうこれ以上の回復は望めないと思ってた。
ずっと「変わりなし」の更新でしたが、いつの間にか奇跡が起きていました
私の場合、これはウブレチドのお陰でもあります。
怖い薬ですが、私には無くてはならない相棒になってしまいました。


排尿障害で不安を抱えている方。
私の歳でもここまで回復したという事実がありますので諦めないでください


P.S おしっこを出すコツですが、(私の場合)
   尿道を締めたり緩めたりを繰り返しているとチョロチョロ出てきます。
   出はじめたら、締める時間を溜め、緩めるときに一気に出すように
   力を入れる。 そうするとかなりジャーっと出ます。

   出先で導尿をするとき、私は障害者用のトイレを使わせていただいて
   いました。  中に備え付けられている手洗いでカテーテルも洗えるし、
   空いてる確率が高かったので、ゆっくりとできました。
   それだけで導尿の煩わしさが軽くなりました。 
   出た時に待っている方がいたら 「私もここじゃないとできないので
   と言っていいと思います。


にほんブログ村 病気ブログ 子宮がんへ


応援していただけると嬉しいです!

2013.09.04 Wed (17:27) l 7. 尿管狭窄 l コメント (14) トラックバック (0) l top
2013/9/7

先日のNHKの番組の中で、
今年初めに内閣府が発表した世論調査では
「7割の人が “ガンの治療をした人はもう働けない” と思っている」
というデータが出ていることを知りました。

私は自分がガンになる前もそんな風には思っていなかったし、治療が終わって経過観察に入ってからは以前と変わらない体力に戻れた自信もあったので、ちょっと驚きの数字でした。

たくさんの働くブロガーさんを知ったせいもあります。
なんだか、本当にここはガンの闘病ブログ って錯覚するほど元気な方がたくさんいらっしゃるので
ガンを経験してきた私たちと、ガンに縁のない人たちとのギャップでしょうか。


そして、「ガンになった人の4人に1人が依願退職をしてる」 という事実。
辛い治療に本人が希望する場合もあるのでしょうが、会社側からの無言の圧力で辞めざるを得ない場合もあるようで、憤りを感じました。

私の収入はパートなので僅かですが、一応生活費の一部になってます。
とはいえ、万が一働けなくなったとしても夫に養ってもらえます (たぶん

でも、独身で親や兄弟、誰にも頼れる人がいない方などは、治療費どころか明日の生活さえも脅かされる逼迫した現実があるのです。
転移・再発よりも、もっと深刻な問題かもしれません。


金の切れ目はの切れ目と言いますが、どなたかのブログで、
金の切れ目はの切れ目という言葉を見つけて哀しくなったことがあります。


そんな哀しいことに怯えなくていいように、「ガン患者に仕事はできない」 などの偏見をなくして、社会全体が働きやすい温かい環境になってほしいと思います。


2013.09.07 Sat (20:22) l 6. 子宮体がん l コメント (25) トラックバック (0) l top
今日、大腸の内視鏡検査してきました。

看護師さんに、直前の問診票と血圧を測るように指示されたとき
サザンさん? 前に化学療法室に通ってらっしゃいましたよね。」 と

私は全く覚えていなかったのですが、その頃に化学療法室にいた看護師
さんのようでした。
あれから2年も経っているのに、患者さんは次々と入れ替わっただろうに、
覚えていてくれたことが嬉しくて、少し緊張がほぐれました。

血圧104/64 脈拍71。 いつも通りでした。

ベッドに寝て、意識がぼんやりする注射を打ってもらったら、手術のときの
麻酔と同じく、たちまち朦朧と・・・
私、この手の薬が効きやすいのかしら

いつの間に内視鏡を入れたんだろう・・・と思うくらい、気づいたら目の前の
モニターには、初めて見る自分の大腸の映像が・・・
でも、よくテレビなどで見る鮮やかなきれいなピンク色ではなくてガッカリ。
というか、茶色っぽく着色しているところもあり、これは長年“センナ”という
漢方の便秘薬を飲んでいた影響と言われました。

内視鏡は心配していた痛みはなく、かなりスムーズに進められましたが、
子宮があったであろう辺りを通過するときに、息を呑むほどの痛みが

ここ、外で癒着してるみたいね。 痛いけどちょっと頑張って

その時、初めて検査技師さんが女医さんだとわかりました(笑)
 
そして、やっと問題の大きいうんちのあった場所に到達。
そこには予想通りデーッカイ  ではなく・・・
盲腸がすぐ後ろに見えるところに、イモムシみたいなポリープがありました。
そこだけ他より白っぽく、ポンと置かれているかのようでした。

私はてっきりこのままポリープを摘出して終わり と思っていたのですが
腸にへばりついていて、2センチくらいあるので今日は取れないと・・・
日を改めて、1泊の入院で取ることになりました。
取った後の、腸の傷などの経過を診るためだそうです。

そしてポリープに針を刺し、病理検査にまわす組織を取りました。
そのもの自体に神経はなく全く無痛でしたが、血がいっぱい出ました。

たぶん良性と思われるが、良性の場合でも癌化する恐れがあるので取ると
いうこと。
悪性だとしても、ポリープの周りは問題なさそうなので予後は良いだろうと
いうこと。
今まで写らなかっただけで、ジワジワと大きくなっていたのではないか?
と言われました。

ちょっと予想外の結果になってしまいましたが、
ここで見つかったのがラッキーと思って前に進みます。

PETはガンのあるところが光るんじゃないの
ポリープから血が出たってことはガンじゃないの
なーんてことも頭を過りますが、今は考えないことにします。 → 偉い?

でもまたあの大量の下剤と、ゴハンを食べれない日があるなんて
終わってみたら、実はこれが一番辛かったりして・・・



にほんブログ村 病気ブログ 子宮がんへ


応援していただけると嬉しいです!


今日、さえさんの訃報を知りました。
突然ブログが読めなくなってから、まだ1か月も経ってません。
その後のご様子も、ご主人が書かれた記事も読むことはできませんでしたが
今はさえさんが痛みのない世界に逝けたことだけを望みます。
心からご冥福をお祈りいたします。
2013.09.11 Wed (00:27) l 9. 大腸がん l コメント (19) トラックバック (0) l top

昨日16日は友達の娘の結婚式でした

あいにくの天気・・・ なーんて言ってる場合じゃない、あの台風の中
新幹線で来た人や、小さい子どもを連れての家のように、安全のために
前の日から近くのホテルに泊まった人たちなど、様々でしたが、
100人の出席者誰一人遅れることなく、時間通りに挙式が始まりました。

私たちが家を出た朝の7時半は、もう雨風がひどく、車の乗り降りだけで、
時間をかけてドライヤーした髪がボッサボサ → 言い訳

でも終わって外に出たらいいお天気で、一番のピークだったお昼前後は
全く知らないうちに終わってました。


の娘ちゃんは、私が通う大学病院で臨床検査技師として働いています。
なので、いつもお世話になっている採血室の方がほとんど出席されていた
ようでした。
化学療法中、ヘモグロビンが5.9まで下がって輸血をしたとき

輸血の針はねぇ、この採血の針よりも5倍も太いんだよ~

と、患者の私をウソで脅かした検査技師さんも出席されていました


この式場、全館貸切状態でくつろげるよう、1日に2組しか取らないという
こだわりがあるそうで、スタッフの気配りも行き届いていました。
あまり形式ばらず、ホンワカした雰囲気の笑いの絶えない結婚式でした。
下の写真で伝わるといいのですが。


最後の、花嫁から両親に贈る手紙の場面では

パパみたいに強い男の人が、昔から私の理想の人だったよ

と、淡々と読み上げるちゃんの横で、感極まって一人泣いてる新郎に
みんなが大笑い

夫たちのやんちゃな頃の写真がスクリーンに映し出された時はどよめきが!

ほんとに、いーっぱい笑った結婚式でした




          104.jpg
          ほんとうのお花の絨毯



         112.jpg
         新郎も同じ病院勤務(栄養科)です



         108.jpg
         私(左)この日のために買ったワンピースとボレロ 
         本人、大人可愛いつもりですが、イタイ?



         105.jpg
         またまたピース・・・ 学習できないバカ



         107.jpg
         Mの孫のRちゃん  pocoちゃんより1つお姉さん



            111111.jpg
            キャンドルを手に、キモい夫とMの夫
            どんどんおじいさんになっる~



             110.jpg
             逆にどんどん若くなる私とM~




     115.jpg
     私の後ろは長男U太、Mの隣は二人の娘、右端はCの長男



            結婚式って、ほんとうに幸せを貰えちゃう。
       病院の人いっぱいいたけど、病気のこと全く忘れてたしね

                   さて、次は誰かな~



にほんブログ村 病気ブログ 子宮がんへ


応援していただけると嬉しいです!



     追加  ♥テーブルの上に置かれていたメッセージカード♥
     152092.jpg

2013.09.17 Tue (23:25) l 17.日常のいろいろ l コメント (6) トラックバック (0) l top
私が結婚した頃の話しです。

闘病とは関係ないのですが、いつかこれを読むかもしれない人達のためにも、
記録しておきたいと思っていました。
なので興味のない方は閉じちゃってくださいね


夫とつきあい始めた高3の春、夫の家はおばあちゃん、お義父さん、小学6年生の弟の4人家族でした。 
お義母さんは夫が高1の時に肺線維症という難病で亡くなっていました。

唯一の女手だったおばあちゃんも、1年後の高校を卒業する頃に老衰で亡くなり
男3人だけの家族になってしまいました。


私は高校卒業後、正社員として勤めていましたが、休日は夫の家の家事を
手伝いに通うという生活が続いていました。
18~19で、一番遊びたい年頃でしたが、その頃は “大好きな夫の家族”
も大好きだったし、頼られてるのが嬉しくて全く苦ではありませんでした。
ただ、たちカップルとの付き合いが減ったのは辛かったけど

そんな生活が1年半くらい過ぎた頃、これなら一緒に暮らした方がラクかも
と、いうことで早い結婚となったわけです。
同居を経験したことがない私の両親は、19で同居する娘を案じていましたが、
私は全く不安はなく、結婚と同時に夫の家に入りました。
夫がいればそれだけで幸せでした     → その頃は


お義父さんは長男として生まれ、弟が一人と妹が二人いました。
由緒ある名家でもないのに、昔ながらの本家・長男を奉る風習のある家でした。
仏様の年間行事や檀家としてのお寺との付き合いは、仏壇が実家になかった
私には未知の世界で、一番四苦八苦したところでしたが、若さゆえの無垢な
心で、素直に叔母たちに学びました。
みんなが、子どものように若い私を本家にきた嫁として可愛がってはくれました
が 「可愛さ余って憎さ百倍」 のようなところもあり、叔母達は私にとって厳しい
姑のような存在でした。

日中私が一人しかいない家にも、実家だからと遠慮することもなく毎日のように
姉妹揃って来ては、私とお喋りをして帰って行く。
私には何も楽しくない苦痛の時間で、叔母の足であるワーゲンのエンジン音が
聞こえただけで胃痙攣を起こすほどになってしまいましたが、そんなことは微塵
も感じさせないよう、“いい嫁” を演じていました。
結婚って、そんなものと思っていたので。
とにかく我慢!我慢!我慢!  我慢の連続でした。

母には心配させたくなかったので、母の前では平和そうにしていました。
今思うと、なんて健気でしっかりした19歳だったのか
何もわからないうちに結婚して正解でした。

それでも私が耐えてこれたのは、何でも包み隠さずに言えることのできる
がいてくれたからです。
二人に聞いてもらうだけでまた頑張れました。
そして夫と、その後生まれてきた息子たちの存在。
かけがえのないものは私を強く、たくましく成長させてくれました。


弟は9歳のときに母親に死なれ、13歳のときに私が入ってきた特殊な環境
からか、結婚当初は反抗期で、私は大きいお腹を抱えて何度学校に出向い
たか。
でも、本当の兄弟のように言いたいことを言い合えた分、仲も良かったです。
私たちの長男や次男のことも可愛がり、面倒もよくみてくれました。

弟が高3のとき、車の免許を取りたてで事故を起こしたことがあります。
ちょうどその時間、お風呂で体を洗っていたら右手と右足に突然激痛が
わけがわからず、しばらくうずくまっていたら、夫が血相を変えてきて
〇〇が事故ったから今から行ってくる!」と。
弟は右側を強打して複雑骨折をし、生死の境を彷徨うほどの重体でした。
血は繋がっていなくても、こういうことってあるんだ  と知りました。
奇跡的に命を取り留め、3か月の入院を経て無事に家に帰って来たとき、
私には一生頭が上がらないと言っていた弟でしたが・・・

結婚して家を出てから人が変わってしまい・・・
お義父さんや親戚の人たちを巻き込んで、兄である夫を裏切ることに。


私たちは22年間の同居生活にピリオドを打ち、家を出ました。
あれから10年。 
一昨年私の癌がわかったとき、つくづく今であって良かったと思いました。
あの家で闘病なんてとても考えられない・・・
あの人たちには絶対に知られたくない、意地のようなものもあります。

癌が発覚した時、次男が 「なんで一番苦労してきたババアなんだよ
って悔しがってたっけ
そうそう! だから意地でも私は負けるわけにはいかないのです。

そして息子のそういう言葉は、
全てを帳消しにしてくれるほどのパワーがありました。



にほんブログ村 病気ブログ 子宮がんへ


応援していただけると嬉しいです!
2013.09.23 Mon (20:29) l 17.日常のいろいろ l コメント (8) トラックバック (0) l top